本日の為替レート
Exchange Rate USD: 木, 21 11月.
【体験談】フィリピン留学 マニラ観光編 in Fort Santiago / サンチャゴ要塞
Contents
マニラ観光編(3)
Fort Santiago・サンチャゴ要塞
Fort Santiago・サンチャゴ要塞は、16世紀、スペイン統治時代に要塞として建てられ、中にはリサール記念館・Rizal Shrineがあり、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールが処刑されるまで2か月間、幽閉されていたことでも知られる場所であり、第二次世界大戦中には、日本軍の基地として利用され、「マニラの戦い」では多くの市民が犠牲になった場所でもあります。
今は、とても穏やかな時間が流れています。
メインゲートの前には水面が穏やかに揺れるお堀があります。
Fort Santiago・サンチャゴ要塞
1571年にマニラでは最も古い要塞の一つとして建てられ、当初は木と土で柵のような作りだった。1574年には中国の海賊の攻撃により崩壊したが、1589年から1592年の間に石造りで再建。
その後、1645年に起きたルソン地震によってダメージを被るが、1658年から1663年に、より頑強に修復され、さらに、1762年から1764年、イギリス占領軍の本部となり、1778年に、修復と改修が行われた。
1899年以降アメリカの植民地になっていたフィリピンだが、1942年には日本軍が占領し、何百人もの市民を投獄し拷問を加え、地下牢では投獄された多くのフィリピン人が水死した。1945年、マニラの戦いで再び崩壊する。
1946年にフィリピンが真の独立を果たすまでは、アメリカ軍輸送科の倉庫として使われていたが、1950年、自由の聖地として宣言された。
1951年からは、国立公園発展委員会による、要塞の修復とメンテナンスが始まり、1992年に、イントラムロス( Intramuros )の管理運営となる。
戦車が突進した門、入口の壁には当時の銃の痕跡が今も残っている。
ゲートを抜けると
緑の芝生が広がり
若者たちの憩いの場に
そこには、緑豊かな平和があります。
フィリピンの国民的英雄 ホセ・リサール(José Rizal)像
ホセ・リサール
ホセ・プロタシオ・メルカード・リサール・アロンソ・イ・レアロンダ (Jose Protacio Mercado Rizal Alonzo y Realonda,1861年6月19日 – 1896年12月30日)は、フィリピンの革命家、医師、著作家、画家、学者。フィリピン独立運動に取り組んだことから「国民的英雄(Héroe Nacional)」と称される。通称はホセ・リサール(José Rizal)。
出典:ウィキペディア
Rajah Sulayman Theater
ホセ・リサールがとじこめられていた牢屋
Last Walk to Martyrdom Trail
ダンジョン (dungeon)
収監された人たちを満潮時に溺死させ干潮時に死体を流したとされている、地下牢。第2次世界大戦中、日本軍は多くのフィリピン人をここで殺害した。
パッシグ川(Pasig River)
川の浄化作戦が行われ、綺麗になりつつある。
川の向こうは市民の暮らし
そして、スカイスクレイパー
当時の面影を色濃く残す要塞
リサールが処刑場に向かう時に、要塞内を歩いた足跡が地面に残っています。
ホセ・リサールの金の足跡
マニラ観光編 in Fort Santiago / サンチャゴ要塞でした。
APSEホームステイフィリピン留学を体験された、S・Yさん
https://apse.asia/mr-sy
要塞の中はスペイン統治、アメリカ統治時代のフィリピンの歴史がうかがえ、重く張りつめた雰囲気ですが、外は現代の平和な時が広がります。
ホームステイのできるフィリピン留学APSE・リフレッシュ小旅行
学校の在るターラックからマニラへは、バスで3時間位です。
レッスンスケジュールや滞在期間、その時の天候などにより難しい場合もございますが、APSEではマニラだけではなく、バギオやハンドレッドアイランズなど、生徒さんがリフレッシュできるように、週末には小旅行も企画しております。