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投稿日:2024年7月20日/更新日:2024年7月19日

【実録】フィリピンでピンチになってよかった苦い思い出・・・BEST3!!

みなさんこんばんは、おるたなです。
今回はHi-hiのパスタ巻いてる?って言わないのかって話なんですけども・・・。

フィリピン関連ブログとか海外滞在に関するブログがたくさんあると思うのですが、もちろん海外滞在には良いこともあれば悪いこともある・・・。そう・・・このAPSEさんでのフィリピン語学留学に関する正直ブログ。

ここでちゃんとお伝えさせて頂こうと思うのです。

なのでパスタ巻いてる場合は大好きなんですけども、今回はお笑いネタは小出しにしつつ、海外での大変な思い出をシェアさせて頂こうと思います。

「これから始まるパーティーの序章に過ぎないのだからね~(ジェラードン・・・)」

これから長期でも短期でも海外に行く方の参考になれば幸いです。
私のピンチ思い出、いってみましょう~!!

 

【実録】フィリピンでピンチになってよかった苦い思い出・・・BEST3!!

その1.友人の話・・・手荷物管理不足。ここは日本じゃ無いの巻。

これは学校から近いショッピングモールですが、フィリピンのショッピングモールの入口にはセキュリティがあり、ボディチェック(甘い)があります。

実際私がフィリピンに初めて行った10年以上前・・・でしょうかね。その時には入口のセキュリティが銃を持っているということや、悪いことをしていないのになんかこうビクビクしたものです。

そう。ここは日本では無い。祖国では無い。母国語は通じないということを実感する景色でした。

手荷物の管理!というと、フィリピンや海外での滞在経験がある方はすぐに理解することができると思います。

・カフェやレストラン、例え高級なお店でも手荷物で席を取らない。
・貴重品はもちあるかない。(もしくは持ち歩くなら肌身離さず。)
・財布を小分けにする。
・少しの値段をケチって徒歩で夜道を一人歩きはしない。

これは基本中の基本なのですが、時々「俺は大丈夫」「2人なら大丈夫でしょ」といったことを考えてしまう友人がいまして。
昔のことですが、実際にあった話でレストランの席の上に、高級カメラを置いてトイレに行くような人もいました。私たちは20人くらいでお酒を飲んだりしていましたが、夜の近所のサリサリでもとても暗い。
隣のテーブルにいましたが、そのカメラ置きのテーブルには誰も座っておらず。あっさりと盗まれておりました。
「なんで見てくれなかったんだよ!」と激高、しかし一言も声をかけず、地元のフィリピン友人達もこちらのグループにいたので全く気がつかず。警察をよべ!といって怒鳴っておりましたが時既に遅し。

協力して探してくれた地元の人々にお礼もなく、信じて任せたのが間違いだったと。・・・
残念ながら他責ではなく自責という概念が無い様子で、日本人でもフィリピン人でも何人であっても本質を見抜くことが最初からできなかったなと思うことができました。

そのニュースを聞いた翌日にも韓国人の友人が夕暮れの墓地・・・?の近くを、厚底サンダルでミニスカートであるき、強盗に遭い、スマホと財布を取られたと。

嘆いておられましたが、たった50ペソをケチって人が少ない時間帯を色白の韓国美女が歩いたら、財布と携帯だけでよかったかもしれません。
しかし、彼女たちは押し倒されて擦り傷も出来た。跡が残ったらどうしてくれるのか・・・!と。

自己防衛と言う言葉が通じず、今度からは必ずそういう危険なところには行かないように、といっても効いてはくれませんでした。
親切に声をかけていた地元のみんなも、最後はあきれており。。。

本気で心配してくれている皆さんを横に、厚底サンダルにミニスカート・・・。いいですか?ミニスカやサンダルが悪いというのでは無いのよ、とにかくフィリピンで良い思い出を残して無事に居て欲しいの、というアテの言葉が身にしみます。

そう、これは他人様の経験ですけど、私には、いや日本で生きていると今まで経験しなかった経験で、とてもおおきな教訓となりました。
大事に思ってくれる人は家族だけで無く、多くの人に見守られていることを忘れずに過ごして欲しいものです。

 

その2.東南アジアの洗礼:お腹を壊して、緊急時の対応をギリギリで学ぶ。

♪ギリギリでいつも生きていたいから~~~あ~~ぁ~~

歌わない、ふざけない、と思っていたのについ歌ってしまいました・・・。

アジアの洗礼、そう、お腹を壊しマジでトイレから出られないのでは・・・!?という状況に陥ることをこうよんでいます。(若い皆さんも言うよね?・・・)

最初に洗礼を受けて、軽めだったことも有り、当時いたマンモス学校の先生に確認。
すると「軽いうちに病院行ったら?」とのこと。

海外旅行保険の提携先の病院ならマカティだけど日本語通じるわよ~と言われたのですが時間が惜しい。近場でないか?と聞くとあるけど一人で行くのよ。とのこと。

当時の学校専用タクシーだと呼ぶのに数時間かかるとのことなので、もう仲良しのトライシクルドライバーに送ってもらいました。
こう言うときに仲良くなっておくとありがたい・・・歩いて行けないし交通手段は皆無。

どうやって病院に行くのですか?と聞くと、その病院(結構でかい大学病院)では、この場合は緊急のエマージェンシー入口からバァン!と扉を開けて入れとのこと・・・セキュリティもなんも遭ったもんじゃ無い・・・

入ってみると先生達は日本人をここでみることに慣れていない様子。
保険の確認に時間がかかり、激痛。

持参したトイレットペーパーと水(確かゲータレード)が底をつきそうで心配するけど、何回もトイレにいくので、先生達も驚く。

How long have you had diarrhea?”
How many times a day do you go to the bathroom?
Do you have a fever?
What is your normal temperature?

書いてみると単純な会話ですが、お腹が痛くてギリギリで生きている私には驚くほど答えれなかった。
加えて、言いたいことが言えない。

「すぐにお腹痛くなっちゃうから、トイレットペーパーが病院で売っているか心配ですってなんて言うんだ・・・?痛くなっちゃうって??平熱低いって言われた気がしたけど、日本人女性ってこんなもんなのでは?ナロウ、ナロウって何回注射失敗しているんじゃ~~~あっ!!血管が狭いから失敗してるって事・・・?」

こんな感じで思っては、

「えええ~~と・・・アイガッタァハイフィーヴァー・・・シンス イエスタディ・・・」

と勇気を出していって見ると、

看護婦さんに「Okay!Your normal temperature is not normally this high, is it?」
んんんん・・・なんとかなりましたね・・・・。

記念すべき自力Englishがまさかの病院。半日だったか一晩だったか・・・

保険の手続きやら、医師の診断確認やら。
とにかく色々と聞かれて緊急時とまではいかないですけど、その対応の確認ができました。
6時間もいればあら不思議。

意外とこの珍しい経験を楽しんでいる自分が居るのでした。

ここで、外国で味わう小さな不安を自分で対処する経験を少しですが学ぶことが出来ました。

 

その3.意識不明のちょい手前、40度の高熱が続いたときあなたは何を学ぶか・・・。

爆睡の図。

アジアの洗礼を何度か経験、そして遂には友人のアジアの洗礼を手助けし、当時の学校の先生たちには「病院がセカンドホームか?」と言われる始末。人の世話を焼くのがどうも体質に合っている様子。

しかし、そんな私にも原因不明なのかクーラーかけ過ぎたのか。。。わからんのですが1週間くらいの微熱の上に遂には40度越えという大ピンチがやってきたのです。

日本人達は病気がうつったらイヤだなとどこか他人事。
フラフラしながら、その時にも助けてくれていたのはフィリピンの先生や地元のトライシクルドライバー達でした。

そこにいるフィリピンの皆さんは自分に移るかどうかよりも、異国で病に倒れる私を心配してくれるのです。
国籍でも無く、年齢でも無く、性別でも無く。・・・目の前の人を受入れて行く姿勢を命がけで学ぶ経験が出来たと思っております。

ぶっ倒れながら病院で手続きし、意識がもどると8時間くらい寝ていたのでしょうか。
当時の学校の教頭先生の奥さんがずっと頭のタオルを水で何度も絞り、汗を拭き、祈ってくれていました。

朝になって意識が戻り、熱が38度を切った時、デング熱でもなく、マイコプラズマでもなく、急性咽頭炎だったとのこと。原因は排気ガスでしょうと。私の顔と医師の話を聞いて安心し、学校の授業に行くわと。

夜も寝ずに看病してくださっておりました。
お礼をなんと言って良いのかわからないが、声も出ず。あのときの先生には感謝しきれない。

そんなことが日本でも母親以外にされたことがあっただろうか・・・?

その後もひたすら24時間点滴、保険で特別室での安静期間を得たのですが、スチューデントナース達はもちろん先生達も全員フィリピン人。一週間すべて、日本人の英語になれていないフィリピン人と過ごすのです。

返しきれない感謝、四六時中点滴でALL English。
退院の日にはドクターは診察を忘れたから一日おまけでもう一回入院してねって事になりました。

強烈な死の淵からの復活劇。
感謝とユーモアと英語漬け。これは異国での生活にかならず必要な経験。
少しでも気を抜くことが出来ないinフィリピン。

あっという間の時間でしたが、私には退院したときにとても大きな達成感を感じました。

あのまま、日本の大企業で毎日我慢して働いていたら味わうことも出来なかった経験。
こころまで生き返った経験でした。

ピンチにあってよかった経験…まとめ。

いかがでしたか?

小さいピンチを合わせたら本当にたくさんのことが、日本の常識とは違うのでたくさんあるような気がします。
焼き鳥を買いに行ったら鶏そのまま出されたり、街中に地味な恰好で歩いて行ったのに、すぐにストリートチルドレンに囲まれて「色白だと日本人とばれるから危険だから日焼けしなさい!」と見知らぬおばちゃんに怒られたり、美容室にいってカットをお願いすると隣の席のレディーボーイにガチで日本女性であることに嫉妬され、喧嘩寸前になったり、レストランで食事して銃声がしたり…

日本は世界でかなり…いや、一番安全できれいで、秩序がわりとあります。
でもフィリピンでのわたしなんぞの小さなトラブルもどんなことにも受け入れてくれるフィリピンの皆さんの心の器の大きさを感じ、すごい経験をさせてもらえたなと今でも思うのです。

省みて何かを必ず気づいて行こうとすると必ず自分の血となり肉となり、心のなにかをパワーアップさせてくれるように感じます。

あのピンチの時にAPSEだったらみんなたくさん助けてくれただろうなぁ…。本当に今でも家族のように優しい、そして暖かく過ごしているであろう皆さん。
フィリピンでがっつり生活をしてみたい、留学をしてみたい皆さん、いざという時のためにもちろん保険も大事ですけれども…

一番大事なのは寄り添ってくれる、また自分も他人に寄り添えるこころのような気がします。
ピンチを経験してよかった。デング熱ってデングフィーバーっていうんや・・・フランジャイティスって咽頭炎なんだ・・・自動販売機がフィリピンの超田舎ではボコボコになっててあまり見なかったけど、そうか平和ぼけだな・・・いろんな気づきがありました。

いや~~ピンチってなんぼあってもいいですもんね。

 

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